つかれた

ある暖かい春の日の午後に、
遠い取引先から帰社する途中。
京王線に乗っていた。


僕はいわゆる「くたびれた」サラリーマンで、
よれよれのスーツを着ている。
10年前は惚れた晴れたの恋にも明け暮れてたような気もするが、
今は、目標に追われ、結婚後急激にかわいくなくなった嫁の目に背中を追われ、
逃げるように生活する毎日だ。
しかし、その生活は、ねずみがまわす車のように、
決して前には進まない。後退すらしない。


車内は空いていて、
乗客全員が椅子に腰掛けても、2割程度の空席が見えていた。
僕は空いているところに座り、携帯電話の麻雀ゲームを起動した。
トータルの成績は607戦195勝。
ランダム関数から繰り出されるツモなのに、この有様。負けている。


右隣には、20歳前後のカップルが1組。
今風の髪型、ファッション、かっこいい男とかわいい女。
そのお似合いの2人は、いちゃつき、ささやき、微笑む。
僕にもそんな時代はあったのだ。と思ったときに、下家に満貫を振り込んでしまった。
悔しい。いや、むなしい。


不意におならがしたくなった。
お似合いカップルに、おならを振り込んでやろうと思い、
音を出さぬよう、細心の注意を括約筋に払いながら、おならをいたした。
思いのほか大量に出たが、音はしない。
気持ちいいな。どうだ?チーでもするか?ポンか?


隣のカップルの会話が少し途切れた。
そういえば、昨日は回鍋肉を食べたっけ。
結構くさいな。ざまあみろ。


かっこいい男のほうが口を開いた。
「おならしちゃったよ。どう、おれのニオイ?」
かわいい女が会話をつなぐ。
「くっさーい。ばっかじゃないのー、あはは」


そして、彼らはまた、いちゃつき、ささやき、微笑みあった。
また、僕は負けたわけだ。役満に振り込んでしまったかのような敗北感だった。


電車はもうすぐ明大前に着く。
学生時代の思い出の街。
この10年間、僕は何から逃げていたのだろうか。
とりあえず降りよう。くさいし。



つかれた。